[mopita] ARTICLE 20200706 アオアシ特集|小川諒也×バングーナガンデ佳史扶「絶望に希望」後編|FC東京 携帯アクセス解析
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アオアシ特集

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小川諒也×バングーナガンデ佳史扶「絶望に希望」後編


小川諒也×バングーナガンデ佳史扶がアシトだったころ
「絶望に希望」後編

一つのポジションを争い、互いを刺激し合える。2人はライバルであり、兄弟のようでもある。東京の左サイドには、脈々と受け継がれてきた、そんな心優しき系譜が存在する。いつか2人で……。かつて絶望を見た場所は、互いの夢を語れる希望の光を放つ居場所へと変わった。

-一つのポジションを争う2人ですが、お互いのことを、どんな存在だと思っていますか?
佳史扶FC東京U15深川に入ったとき、当時のトップチームには太田宏介さんがいて、日本代表にも入っていた。その宏介さんから、若いときにポジションを奪った諒也君のことをずっとすごい人だと思ってきた。僕はそこにチャレンジする立場なので、盗めるモノを盗んで、ここは負けないというところを伸ばしていきたいと考えています。僕にとって諒也君は基準ですし、いつか追いつくことができれば、その先も見えてくると思っています。だから、どんどん臆せずチャレンジしていきたい」

諒也「佳史扶は、本当に礼儀正しいし、かわいい後輩。オレも、若いときはいつも宏介君が優しく接してくれた。だから、自分にも後輩ができたときは同じようにしようと思っていた。もしも、佳史扶が聞きたいことがあれば、自分が経験してきたことなら何でも答えようと思う。逆に、佳史扶のように、いろいろ聞いてきてくれる後輩のほうがかわいいですよ」

佳史扶「僕にないものをメチャクチャ持っているので、聞かないともったいないなと思ってしまう。最初は、遠慮していたんですが、初めてトップチームに練習参加したときから宏介さんも、諒也君もフレンドリーに話し掛けてくれた。だから、積極的に話し掛けることができるようになった。本当に2人のおかげだと思っています」

-アドバイスすることは、ライバルを育てることにもなりますが?
諒也「お互いが足を引っ張りあうよりも、2人で高いレベルまで高め合ったほうがいい。オレ自身も、佳史扶に聞きたいことがあったら、自分から何でも聞く。高め合っていきたいし、聞きたいことも聞けないような関係は臨んでいません」

佳史扶「本当にありがたいです」

◆青赤のサイドバックの系譜

-今、小川選手に聞いてみたいことはありますか?
佳史扶A代表の活動期間中に、長友選手から多くのことを教わったという記事を見たので、どんなことを学んだのか聞いてみたいです」

諒也「今回、長友さんと同じ時間を共有できたことは、自分にとっても大きなプラスだった。やっぱり日本を代表するサイドバックとして長年、第一線を走ってきた選手と直接ふれあえたことは大きかった。世界トップレベルの選手と日常的に戦っている選手だからこそ、言えるのだと思ったこともたくさんあった。例えば、印象に残ったのは、そうした選手が次のビジョンを常に持っていて、どんな場面でも数的優位つくってくるということ。長友さんは得意の11に持ち込みたいのに、世界のトップレベルが相手だと、そういう状況をつくらせてくれない。ボールをただ受けるだけではなく、次のプレーを意識してプレスにはまらないような立ち位置を取ってくるという話を聞けた。オレ自身もまだまだ学ぶことがたくさんあるし、本当に刺激的だった。今回の代表では、本当にいい時間を過ごせたと思う」

佳史扶「長友さんが東京にいたときから、このチームの主力となったサイドバックは常に代表に入ってきた。トップチームに昇格する前からそうした縁を感じていました。ここで成長できれば、自分の目標もかなう。だからこそ、結果を残したいと思うし、いい環境に恵まれたと思っています。ただ、まだまだ自分は足りないことだらけ。まだまだ諒也君と争えるレベルではないと思っているので、今は自分に足りないことを補っていけるようにしたい。慢心することは絶対にないので、チャレンジし続けて、何でも行動してみようと思っています。今まではいろいろ考えて、そこで留まってしまうことが多かったので、いろいろなトレーニングや、語学にもトライしてみたいです。そして、いつか互いを高め合えるような存在になりたいし、いずれ2人で代表に呼ばれるようになっていきたい」



◆家族の支えとライバル

-特に、育成年代では家族の支えが欠かせません。2人にとって、家族はどんな存在ですか?
諒也「高1のときは寮に入っていたが、体作りも考えて高2からは通いになった。朝4時半に起きて、458分の電車に乗って毎日通学していた。冬場はうっすら出ている月を見ながら朝練もしていた。だから、親は3時半に起きて毎朝弁当をつくってくれていた。その2年間は本当にキツかったと思う。あのとき反抗していたことを申し訳なく思うし、今の体があるのは、親が食事をしっかり考えてつくってくれたから。本当に感謝しかない」

佳史扶「家族は、サッカーに関係なく、人生においてどんなときも味方でいてくれる存在です。何があっても家族がいるから大丈夫だと思ってきた。サッカーをやっていた兄は、自分にとって、もっとも身近な最初の憧れの存在だった。今でもよく試合を観に来てくれるし、J3のころからアウェーの試合でも来てくれていた」

-今季の天皇杯2回戦では、かつてFC東京U-18で一緒にプレーしていた、チームメートたちが在籍している順天堂大に敗れました。あの試合からどんなことを学びましたか?
佳史扶「あの試合は、出場した全員が不完全燃焼に終わってしまった。試合後は、自分もイライラした。もしも、ほかのチームに負けていたら、そんなことはなかった。自分の中でも初めての感情だった。もちろん決して負けてはいけなかった試合ですが、あの試合があって、今は良かったと思えます。同い年の(小林)里駆もあの試合に出ていた。今は、もっと突き放したいと思っているし、里駆がプロになるときには、その借りをどこかで返したいと思っている。ここから結果を出して、あの敗戦でいろんなことに気づけたと、そう言えるようにしたいです」

諒也「天皇杯は放送がなかったから、実際に試合の映像を見ることができなかった。オレも1920歳のときは何度も失点に絡んで怒られた。佳史扶は真面目で気にしてしまうタイプなので、自分のミスで失点したらシュンとしてしまう。本来は、それをチームでカバーしていかなければいけない。若手に、責任を感じさせてはダメだし、気持ち良くプレーできるように周りのオレたちがサポートすべき。若手にはノビノビやっていいよ、という雰囲気がチームにないといけない。だから、佳史扶には自信を持ってプレーしてほしい。練習を見ていても、すでにそん色なくできるレベルにあると思う。得意なプレーをバンバンだしてほしいし、そうすることで周りも佳史扶のことをもっと深く理解できる。主張することは大切で、ときには、ああしてほしい、こうしてほしいと、どんどん言ってきてほしい。ピッチの上では、いい子にならなくていい。オレよりも年上になると、話しにくい部分もあるかもしれない。そういう意味でも、オレには何でも聞いてほしい」

-初めはいやいやなったポジションですが、今はサイドバックのことをどう思いますか?
諒也「試合中、一番ボールを触れる機会も多いし、常に前を向いてプレーもできる。いまは、サイドバックが本当に面白いと感じている」

佳史扶「僕もそう思います。そこで日本一になることが目標ですし、いずれ海外でプレーしたいと思っています。諒也君は、絶対にいつかぶち当たる壁だと思ってきました。それを高校生の時から身近に感じられたことは、自分にとって大きなプラスだと思っています」



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