[mopita] ARTICLE 20200706 アオアシ特集|品田愛斗「考える葦」後編|FC東京 携帯アクセス解析
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アオアシ特集

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品田愛斗「考える葦」後編


品田愛斗がアシトだったころ
「考える葦」後編


今はまだプロの世界に、ひっそりと生える一茎にすぎない――。どれぐらいの数の人が、そんな品田愛斗を気に留めているのかは分からない。ただし、グンと伸びた葦が、いつか大きな群落の中心にいるのかもしれない。

そう思わせた試合がある。2020年のJ1リーグ第24節大分トリニータ戦での2つのプレー。0―1で迎えた後半16分、中盤でフリーになった品田は、ゴール前にポジションを移したアルトゥール シルバに縦パスを送る。これを起点に複数人が絡んだ連係が生まれ、最後はレアンドロがゴールを決める。それが思い描けていたかのように、品田の出したパスは背番号45の右足目掛けてしっかりとコントロールされていた。

試合直後、品田はこの場面を振り返り、こう言語化している。

「最初は浮き球でDFとGKの間に落とそうと思ったが、一瞬、ギャップが空いてそこに通せると思った。永井選手とレアンドロ選手の立ち位置が見えたので、何かが起こると思って出した」

そして、2点のビハインドを負った、試合終了間際。ゴール前の混戦から田川がシュートを放ち、そのこぼれ球を頭で押し込んでJ1初ゴールを挙げる。ここでも、品田は周囲がボールウオッチャーになる中、一人こぼれ球を予測し、いち早くスペースに飛び込んでいた。時に、ひ弱と呼ばれるJユース出身選手にとって、逆境での思考力がまさに試された瞬間だった。

この試合は大分に敗れ、自身も失点に絡むなど、本人にとっては反省点の多い試合だっただろう。ただ、品田という選手の認識を改めなければいけない試合の一つとなった。

◆育まれた逆境での思考力

「中学、高校、トップチーム、それぞれのステージで取り組むべき課題は全部違っていた。実を結ぶまでは、時間は掛かる。でも、諦めないで自分と向き合ってやり続けられる強みは自分にあると感じている。U-18までは、そうした期間が嫌で、そんなことしたくないと思うこともあった」

逆境での思考力が育まれたのは、そのFC東京U-18時代だった。中学3年生で日本一に輝いた司令塔は、大きな壁にぶち当たる。加入当初の期待は大きかったが、高校2年になってもポジションはつかめずにいた。さらに、悪いことは重なり、その年の秋には右脚の股関節痛を発症してしまう。満足なプレーができず、メンバーリストからもいつしか品田の名前は消えた。

その間、脚光を浴びるチームメイトを尻目に、努力する天才はこのケガと向き合い続ける。それは自らの心と、体と対話する日々だった。当時の福井哲育成部部長(現城西国際大学監督)からの勧めもあり、リハビリを受けつつ、身体操作の仕組みを一から学んだ。

ただし、トップチーム昇格か、見送りか、その期限は刻々と迫ってくる。時間がいくらあっても惜しかった。

「(U-18では)自分と向き合える環境や、時間をつくってくれた。(けがの期間は)トレーナーからいろんなことを教わったし、ほかのことをやる暇がないくらいだった。それに意味があったかを証明するのは、自分しかいない。何をしたかよりも、向き合ってきた時間が自信と力になった」

FC東京U-18でも、陽の目を見たのは最終学年だった。背番号18を背負った品田は、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会、高円宮杯U-18サッカーリーグ2017チャンピオンシップの2冠を達成する。ピッチに帰ってきた天才は、時に泥臭くもあった。当時のコーチングスタッフは、きっと心躍ったはずだ。「自分で答えが出せる選手」と信じ、定位置をつかめないでいた品田本人の気づきを3年間掛けて辛抱強く待ち続けていたからだ。


◆凹む時間なんてない

そして、念願のトップチーム昇格も勝ち取ったが、プロ入り後も主戦場のJ3リーグでもがく雌伏のときを過ごした。そうした時間も「自分には合っている」と言い、「だから、やることは変わらない」と、膝を曲げて高く飛ぶときを待った。

「自分では凹むぐらい挫折したと思っている。でも、オレの挫折なんて周りの高校サッカーに行った選手に比べれば、たいしたことない。だから、プロで2、3年出られないなんて当たり前の話。そういう風に思うから、変に凹んでいる時間なんてない。いつも自問自答して環境に甘えてないか。やるべきことができているのかを自分に言い聞かせながらやっている」

迎えた、プロ3年目の昨季J1で自己最多9試合に出場し、チームもルヴァンカップを11年ぶりに制した。品田の3年周期は継続中だ。だが、本人は少しも奢ることなく、冷静に現状を分析している。

「出た試合を見返しても、力不足だったと思う。チームには、選手それぞれに役割がある。ベテランの選手たちの振る舞いを見て、自分も、すごい、こうなりたいと思った。でも、自分はその段階ではない。今は、そういった尊敬できる人たちをよく見て学んで、自分がいざそうならなきゃいけないとなったときに力を出せるようにしたい」

少々、辛口の自己採点にも見えるが、それは「自分のことを、誰よりも自分自身で一番理解しようとしてきたから」だった。

◆3年周期のその先で

画面越しに話を聞きながら、品田から出てくる言葉に、感嘆の声が何度も漏れた。僕は自然と、「1、2年会わないうちにまた成長した印象を受けた」と、口にしていた。

品田はそれを飲み込み、こう語った。

「(小学校時代に)天才、天才と呼ばれて、周りから見たらうまく見えたのかもしれない。でも、実際は基礎練習が好きで、そういうのを何回もやって誰よりもうまくなって自信をつけてピッチに立つことが自分には必要だと思っている。やっぱり、ピッチにいる22人の中で、自分が一番うまくないと良さが出ない気がしてしまう。だから……」

「ただ、ただメチャクチャうまくなりたいです」

ゾクッとしたのは、その後だ。アカデミー出身選手として、このクラブの未来を語った言葉には震えさえ覚えた。

品田は「うーん……」と、少しの間を置き、喋々と自らの考えを言葉にしていく。あまりの雄弁な語り口に、呆気に取られた。仰け反るこちらを横目に、品田は「何年も掛かるんだろうなと思うし、引退までに間に合うのかという怖さもありますが」と言って笑った。

今はまだ題名なんてないが、物語の主役になりそうな選手はここにいた。それは彼の背景が物語っている。たいていそうだが、確信なんてない。ただ、このとき語られた言葉の答え合わせはできるはずだ、次の3年周期で。



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