[mopita] ARTICLE 20200706 アオアシ特集|品田愛斗「考える葦」前編|FC東京 携帯アクセス解析
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アオアシ特集

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品田愛斗「考える葦」前編


品田愛斗がアシトだったころ
「考える葦」前編


それは、素通りされるストーリーだったのかもしれない――。

石川直宏は5月31日、自身の公式twitterを更新。「昨日の広島戦後、誰もいなくなったピッチで……」という書き出しで、品田愛斗への思いを書き込んだ。

前日に行われた、明治安田生命J1リーグ第17節サンフレッチェ広島戦。その日、ベンチスタートだった、品田は終盤に途中交代で試合に入った。出場時間はわずか数分、試合の結果は0-0の引き分け。背番号18は言い訳を考えるよりも、ピッチに残って黙々と一人走り続けていた。

この石川が打ち込んだ短い文面を見つけ、目を細める人がいた。FC東京U-15深川時代に、品田を指導した奧原崇アカデミーマネジメント部部長は、「あいつらしいな」と言って、こう続けた。

「あれこそ、オレが知っている愛斗の姿なんです。そういう行動を取ったことに驚きはないです。昨年までは足首に問題を抱えていて、思い通りに練習ができない葛藤があったと聞きました。でも、今年はそのストレスを取り除くために、手術をしてスッキリとした顔でサッカーと向き合っている。いつだって次のための準備をする。できていることで、一番になりたい選手はいる。でも、あいつはできないことでも一番になりたい。そういう選手なんです」

奧原は、品田がトップチーム昇格を決めた直後にこんな話もしてくれた。「愛斗に関しては、全く心配していません。すぐに活躍できるわけではないと思います。ただ、壁にぶつかったとしても、あいつは“努力できる天才”なので」、と。

◆努力する天才の源流

その小学生時代は誰よりも上達が早く、教えたことをドンドン吸収していった。全国の舞台にこそ届かなかったが、品田愛斗の名は広く知れ渡っていた。当然、周りは天才などと呼び、持て囃した。当の本人は「自分のどこを見て、そう呼ぶのかは分からなかった」と言うのにも訳があった。

「元々、うまかったわけではない。いつも親父と一緒に、足下のテクニックの練習を反復していた。今振り返っても、何で親父がそんなことを教えようと思ったのかは分からない。自分が努力できるのも、きっと周りに恵まれていたからだと思う」

一歩ずつ課題をクリアすることで、かみしめてきた小さな喜び。それに付き合ってくれた父親の存在。幸福な理由が重なり、“努力する天才”は形作られていく。メキメキと頭角を現した品田を、Jリーグのアカデミーが放っておくはずもない。小学5年生の2月には、スクールに通っていた縁もあり、FC東京U-15深川から誘いの電話を受けた。その後、複数のクラブも獲得に乗り出したが、いち早く声を掛けた青赤行きを決める。

◆大いなる俯瞰

哲学者のブレーズ・パスカルは言った。「人間は自然界で最も弱い一茎の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」。品田は、それを自らと向き合った学びの中で知ることになる。

FC東京U-15深川で監督として待っていたのが、奧原だった。中学に入ると、身体的成長速度の差を否が応でも感じた。学年が違えば、それが顕著に表れる。だが、奧原が刺激したのは、体よりも頭の方だった。

「愛斗に技術的な指導をしたことは、ほとんどなかったと思う。それよりも、自分をどう表現するかとか、礼儀や、仲間の大切さ、戦術というよりもサッカーの考え方だったり、そういう話は誰よりも多くしたと思います」

品田には、そうした記憶が鮮明に残っている。「U-15時代は体よりも頭を使った」と言い、「ピッチの全体を見る」という繰り返されたフレーズは今も頭にこびりついて離れない。

「自分の良さを出すためにどう周りと関わって、どう発信するのかとか。周りの特長をどう生かすかと、どう理解するか。自分の感覚を押し通そうとしてもチームとして成り立たないし、お互いの良さが出ない。全体を見るという中には、ピッチのどこが今跳ねているのか、どういう風が吹いているのか、雨がどう降っているのかとか。相手の穴はどこにあるのか。試合に勝つ確率をどう上げていくのか。相手と戦う前に、そういう部分も教わった」

◆自分でつかんだ答え

ピッチに漂う空気を感じるために、首を振って情報を収集してイメージを膨らませる。そこからチームを導くための最適解を探り、一つ一つプレーを選択していく。この終わりなきマルバツは、新たなワクワクとなった。サッカーの奥深さに触れる度に、頭を悩ますことも少なくはなかった。

「2、3回首を振って、その後の全体の動きがどれだけ当てはまっているかだと思う。(間接視野も利用するのは)ボールだけを見ているのと、ボールと相手が見えているのは違う。それが分かってくると、テクニックが必要になる。自分が前にパスをつけられないと思ったときは、仮につけられる選手が見えていたとしても、その先のゴールまでの道筋が見えなかったり、奪われる絵が見えたら出したくないと思ってしまう」

この難題とも真正面から向き合った。そうして3年という月日を掛けて学び、自分の力へと変えていく。FC東京U-15深川の最終学年には10番を背負い、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会でチームを日本一へと導く活躍を見せる。現在の品田のプレースタイルの源流は、この時磨かれたものだった。

そして、3年周期――。それが、ここから品田を語る上で欠かせない、新たなキーワードとなっていく。

まだ一茎のアオアオとした葦は、自分の目で見て、自分の心で聴き、自分の頭で考え判断することを覚える。目指す大志への第一歩は、そうして踏み出された。

[文:馬場康平]



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